TOPコレクション 見ることの重奏
撮った大ガラス(に乗った埃)の写真があり、どちらも作品をそのまま撮ろうというものではなく大ガラスの作品を巡って起こる現象に目を向けていた。普段、写真を見る機会が少ないから刺激になった。 ベレニス・アボットは結構俯瞰で見ることに必死で、結局街が主体の写真になってしまっていたと思う。アジェの主体の不在のような、もしくは風景画のような写真が好きだった。風景画が静物画になってしまっている。 ちょっとツイートした
ベレニス・アボットの写真はウジェーヌ・アジェの試みを正しく継承しているはずなのに全然静かさがない。アボットいわく徹底的に客観視しているそうだが、アジェの写真の不在さとはぜんぜん違う。広い画角が必要なニューヨークという街がそうさせてしまったんだろうか。
風景画と静物画のような違いがある。その点山崎博の写真は完全に前者で、写っているものもコンセプトもぜんぜん違うがアジェに近かった。不在の写真が好みなのかもしれない。